「ふじ農園」は、昭和初頭に桃栽培を始めた

相澤家12代目「義秋」が命名しました。

「ふじ農園」は江戸時代から数百年続く

相澤家の庭の一角に、近隣の人々と一緒に

花見を楽しんだ古い藤の大木があったことが

名前の由来となっています。

樹齢数百年にもなる大木は自然災害によって、

幾重にも重なる枝が折れたり、道路の拡張

などによって、ひと回り小さくなっていますが、

今でも花を咲かせます。

「ふじ農園」は、昭和初頭に桃栽培を始めた

相澤家12代目「義秋」が命名しました。

「ふじ農園」は江戸時代から数百年続く

相澤家の庭の一角に、近隣の人々と一緒に

花見を楽しんだ古い藤の大木があったことが

名前の由来となっています。

樹齢数百年にもなる大木は自然災害によって、

幾重にも重なる枝が折れたり、道路の拡張

などによって、ひと回り小さくなっていますが、

今でも花を咲かせます。

相澤家(ふじ農園)は江戸時代から続く農家で、桃農家になる以前は米や養蚕で生計を立てていました。昭和初頭になり、桃やすももなどの生産を始めましたが、戦争になり主食の生産が求められ、全て伐採されました。
しかし、昭和20年第二次世界大戦後、戦地から帰還した13代目秀秋が「平和の世になると、主食より嗜好品の時代になる」と予見して作物の生産転換を進めました。この頃からが「ふじ農園」の始まりです。

昭和25年には桃の生産農家に転じ昭和30年には近隣の同世代の人々にも声をかけ、地域の人々と共に「農業研究会」を立ち上げ、技術的な勉強会や、桃やぶどうの苗木の生産にも携わりました。この苗を町内外に販売し、産地の拡大に大きく貢献しました。
また、果実組合を組織し、市場開拓や資材の共同購入など、今の農協のような地域組合を設立し、この組合を通して桃の販売を開始しました。

昭和34年には、農林水産省の「第3回農林漁業技術研究集会」にて「桃の草生有機栽培法」の研究発表を行い、同年「全国桃大会」をふじ農園を会場に開催したりと、まさに地域の桃農家の人々と共に一大産地の礎を築いた一人でした。

13代目秀秋による桃園を受け継いだ14代目は、生産だけでなく育種に興味を持ち、大の桃好きが「季節外れの寒い時期に桃が食べたい」の一心から、初霜の降る頃収穫される「武兵衛」を開発しました。

現在「Snow Peach」の名称で販売されている桃です。

18年の歳月をかけ日本にも世界にも類を見ない珍しい桃です。夏の桃よりはるかに甘く香りが高く、しかも瑞々しい夢のような桃です。

そして、15代目はこのSnowPeachの甘さと香りの良さを生かし、砂糖無添加のジャム作りに成功しました。これからはこの桃に止まらず、他の果物の特性を生かしつつ新たな果実製品の開発を進めています。
未来に向けてふじ農園の挑戦はこれからも続いていきます。

ふじ農園14代目 相澤武兵衛